音楽の話 #マイ・ウェイ

音楽の話 #マイ・ウェイ

My Way (1969) フランク・シナトラ

 シナトラはアメリカのポップスター。1940年頃から50年以上に渡りエンターテイナー、アイドル、時には俳優として活躍したポピュラー歌手でございます。イタリア系アメリカ人の両親の元、世界恐慌の真っ只中にありながら恵まれた幼少期を過ごし、20歳で音楽活動を始めました。24歳の時にプロデビューしてからは直ぐに多くのファンを獲得し、特に10代の女の子たちを中心に絶大な人気を集めます。若々しい声のシナトラは「ボビーソクサー(女学生)のアイドル」と呼ばれ、公演中 興奮しすぎて気絶し失禁してしまう熱狂的なファンもいました。その後、スランプに陥ったり(ファンだった女の子たちが大人になっちゃったのね。)、戦争の影響を受けたり(彼は兵役不合格になったため主に慰問公演を行っていました。)、4度の結婚[3度の離婚]があったり(浮気癖もかなりあったみたいね。)、復活したり(歌手としての円熟が一番!)、俳優としてアカデミー賞を受賞したり…(当たり役をゲットしたみたい。)、公民権運動にも積極的に参加したり(キング牧師の前で歌って涙させたのは有名な話。)、お友達J.F.ケネディの選挙を応援したり(後にケネディの不倫相手になるマリリン・モンローもシナトラが紹介しちゃうのだ!)、シナトラがマフィアとのつながりが濃かったことからケネディとの友情が決裂しちゃったり(政治が絡むと難しいよね。)…、チャリティーに協力して社会に貢献してみたり(実は裏に「金」や「名誉」的な魂胆があったみたいだけど。)、そして70歳を過ぎても変わらぬ人気で(半世紀以上も第一線で活躍できるのはやはり凄いです!)、来日コンサートもしちゃったり…。こんなに盛り沢山な人生も珍しいかと思うけど、アメリカのスターにはよくある話なのかもしれませんね。

 マイ・ウェイは、フランスのシャンソン歌手クロード・フランソワの歌にシンガーソングライターのポール・アンカが英語歌詞をつけてシナトラが歌い、世界中で大ヒットしました。後に作詞のポール・アンカ自身も録音を行いましたし、エルヴィス・プレスリーやシド・ヴィシャスなどにもカバーされ、それぞれヒットを記録しています。日本では尾崎紀世彦さんや布施明さんのカバーが有名でしょうか(美空ひばりさんも歌っていたのですよ♪)。音楽の教科書や教材にも使用されることが度々あるので、中学や高校で合唱した人も多いと思います。

romeo


 

『マイ・ウェイ』
作詞ポール・アンカ

そろそろこれで終わりだな
人生に幕を下ろす時が来た
なあみんな,
ここでハッキリ言っておくけど
これからみんなに聞かせることに
迷いなんかひとつもないぞ
充実した人生を
自分は今まで送ってこれた
やれることはなんでもしたし
それ以上のことだって
自分なりのやり方で
思った通りにやってきた

悔いだってなくはないけど
それでもそれほどあるわけじゃない
やらなきゃいけないことをして
それをきっちり最後まで
ひとつ残らず見届けた
様々な経路をきちんと地図にして
脇道を行くときは
気を抜かないよう注意した
それ以上のことだって
自分なりのやり方で
思った通りにやってきた

確かにそんな時もあったな
お前も知ってるはずだよな?
欲張り過ぎて失敗したよ
だけどずっとその間
たとえ変だと思っても
構わずとにかくやってみて
ダメならそれで諦めた
逃げも隠れもしてないし
堂々と胸を張り
自分なりのやり方で
思った通りに生きてきた

恋だってしてきたし
時には泣いたり笑ったり
いい思いもしてきたけれど
それなりに痛い目にも遭ったんだ
だけど今
泣きたい気持ちがおさまると
そんなこともなにもかも
みんな楽しい思い出だ
そういうことをやってきたって
そんな風に考えてると
臆面もなく言ってしまえば
自分なりのやり方で
思った通りに生きたんだ

人間っていうものは
それまで何をしてきたか
それで決まってくるんだよ
自分らしく生きなくちゃ
生きている価値はない
本当に思ったことを怖れず言って
負け犬が言うような
そんなことを言ったりしない
今までやってきたことを
見てみればわかるけど
痛い目にも遭ってきた
だけどそういう時だって
自分なりのやり方で
思った通りに生きてきた

そうなんだ
これが俺の人生だ

 ポール・アンカの歌詞は実にグッと来ますね!シナトラがこの曲を歌い始めたのは55歳のとき。生涯を通して歌い続けシナトラの代名詞ともなるマイ・ウェイは、実にシナトラらしい一曲となったのではないでしょうか。

人が歌を作り、歌が人を作る。不思議なものですね。

 

NO MUSIC, NO LIFE.

美味しいコーヒーと一緒に、音楽を楽しみましょう